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コロナ過に思うこと その三 [もろもろの事]

 子供のころ、同じような失敗を繰り返すと

よく言われた。

 「この、ほんじなし!」と、


 突然ですが”チューラパンタカ”という人を

知っているでしょうか?


 彼は、兄の”マハーパンタカ”と共に、”ブッダ

(仏陀)”の末弟の一人でした。


 ある時、二人が兄弟げんか(と言っても、

一方的に兄が弟をしかりつけている。)をして

いるところへ、”アーナンダ”というお弟子さん

が通りかかります。


 この人は、「釈迦の十大弟子」の一人で

”テーバダッタ(提婆達多)”弟とされています。

 記憶力に優れた人で、”ブッダ”の説法をすべて

記憶していたと言われています。


 ところで、”パンタカ兄弟”がなぜけんかをして

いたのか?と,言うと。


 兄”マハーパンタカ”は頭がよくて教えられた

経文をすぐに覚えられるのに、

 弟”チューラパンタカ”は教えられた先から忘れて

いくという人で一説には、自分の名前すらすぐに

忘れてしまうという程でした。


 「ほんじなし」の見本のような人ですね。


 この時も、そんな弟に家へ帰るように説教して

いたのです。


 そこへ通りかかった”アーナンダ”に、弟”チューラ

パンタカ”が助けを求めます。

 「どなたか知りませんが助けて下さい。」

 何度もあっているはずなのに名前を忘れてしまって

いるのです。


 兄の”マハーパンタカ”が”アーナンダ”に言います。


「弟は出家して三年もたつのに数行の経文すら覚え

られない。修行をしている資格がないから、家に

帰るように言っていたのです。」と、さらにまくし

たてる兄を制して”アーナンダ”が言います。


 「私にお任せください。」と、傍らにいた

”テーバダッタ”が言います。

 「どうするのだ?」”アーナンダ”は答えて言います

 「師(ブッダ)に教えを乞うだけです。」


 そして”チューラパンタカ”と共に”ブッダ”もとに

行きます。

 ”アーナンダ”の話を聞いた”ブッダ”は言います。

 

 「”アーナンダ”よ汝は、記憶力の第一人者だが、

”チューラパンタカ”は忘れる方の第一人者である。

実に頼もしいな。」さらに続けて


 「愚人の愚とはむしろ、智者といえよう。

”チューラパンタカ”は真の愚者になりなさい。」


 ”アーナンダ”がとまどったような顔をしていると

 

 「仏法は愚直の信心が大事である。いまに、

”チューラパンタカ”がそれを証明してくれよう。」


 そして、別の弟子にほうきを持ってくるように

言い、そのほうきを”チューラパンタカ”に渡しな

がら、こう言います。


 「”チューラパンタカ”よ、汝はこのほうきを

持って『塵(ちり)を払わん、垢(く)を除(のぞ)

かん。』と掃除をしなさい。ほかの事はみな忘れて

よい。」


 ”チューラパンタカ”は「はい」と判事をして始め

ます。


 彼は、時々忘れながら周りの人に助けてもらい

ながら”ブッダ”に言われた通りに修行を続けていき

ます。


 やがて、どのくらいの期間がたったでしょう。

すっかり覚えて掃除を続けている所へ、”アーナンダ”

が通りかかります。


 残念ながら”アーナンダ”の名前はいまいちだった

ものの、”アーナンダ”の顔はわかったようで、彼の

ほうから話しかけていきます。


 ”アーナンダ”は言いました。

 「”アーナンダ”ですよ。すっかり覚えてしまい

ましたね。」彼は答えます。

 

 「おかげさまで」


 「がんばってくださいね。」”アーナンダ”はそう

いいながらはなれていきます。


 そして、再び掃除を始めたところで彼は気づきます。

 『塵(ちり)というのは自分の心に積もった塵であり、

垢(く)とは自分の心にこびりついた垢(あか)である』

と、


 この日を境に彼は変わっていき、さらに純粋な修行を

続け最終的には[普明如来]という仏になることが約束

されたといわれています。


 では、なぜ彼はこのような人からあざけられるような

姿で生まれてこなければならなかったのでしょう。


 ”ブッダ”は、次のように言っています。


”チューラパンタカ”が”ブッダ”に言われて出て行ったあと

残った弟子たちに言います。


 「”チューラパンタカ”は前世でも仏のもとで出家した

事がある。その時は彼はずば抜けた頭脳を持っており、

逆に周りにいる弟子たちが分からないでいることをあざ

笑っていた。その原因によって、結果としてこのように

生まれてきた。」

 「仏法でいう[因果]というのは厳しいものである。」


 これは、仏教での話なので「関係ないや」と思うかも

知れません。また、[親の因果が子に報う]という抽象的

なものでもありません。


 簡単な例でいえば、平坦な所でも、石などがゴロゴロ

しているところを走ればつまずいて転ぶ。’石がゴロゴロ

している所を走る’ということが原因となって、結果

’つまづいて転ぶ’ということになります。


 今の”コロナウイルス”も同じことです。

三蜜(密集・密接・密閉)になるなと言われますが

’三蜜になるところへ出かける’という原因によって

’コロナウイルスが大喜びする’という結果がついて

きます。


 さらに、’コロナウイルス”が大喜びする’という

ことが原因で結果として’感染者が増える’・’医療が

ひっ迫する’・’救える命が救えなくなる’と、

原因と結果が連鎖していくことになります。


 これは何も”医療現場に限ったことではありません。

時短営業を余儀なくされている飲食店とその関連業者も

、テレワークを余儀なくされている企業も同じでしょう


 まわりまわって、最終的には「ほんじなし」の人間に

すべて帰って来ることになるでしょう。


 医療従事者や高齢者が中心と言っても、ワクチン

接種が始まっています。やっと少しづつ希望が見えて

来ました。


 もういいだけ「ほんじはついている」と思います。

ここらで一度しっかり心を締めてコロナウイルスに

負けない気持ちを起こして勝利しませんか。


                おしまい




参考資料:第三文明社「シャカの十大弟子」(全5巻)

     第2巻『阿難』

     作画”ささきせい”さん

         を参考にさせて戴きました。

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